画一的な「インターナショナル・スタイル」は都市を不毛にさせた諸悪の根元として指弾され・・・
社会は柔軟な姿勢(やわらかアタマ)で、都市と建築が再び「楽園」をもたらすことに大きな期待をかけました。
建築家たちも、主体性を回復して、この「楽園」復活の時代に臨もうとしていました。
周知のようにバブル経済の隆起は、都市に対する関心を是非はともかく異様なまでに盛り上げ、建築も建築家も時代の中心に押し出されていきました。
それは社会の側にもかなうものならば、「楽園」としての都市を復活したいとの潜在的な願望が根強く存在していたからに他なりません。
国際的な金融市場を舞台にした錬金術がもたらす潤沢な資金を元手に、倉庫や工場が並んでいた荒涼たる岸壁や操車場の跡地が、数年にしてオフィス街区に姿を変えました。